キッチンと食器のガイダンス
キッチンは神聖な場所
アーユルヴェーダの古典スシュルタサンヒターには、キッチンや食器についての記載があります。
台所は広く作り、清浄に純潔に保たなねばならず、信用している人以外はここに近寄らせてはならない。医師は自らの欲する味と色とをつけるため、よくなれた料理人の手によって調理せられ、清浄純潔な人から、見られない場所に保管された、食物または食餌を得なければならない。その後に解毒剤を混じて無害なものとし、その上でArthavan経を読誦してすべての毒を祓い、神秘の呪文を唱えた水を振り掛けた後、王様の食膳に上すのである。スシュルタサンヒター第1巻総論編 第46章
現代の日本の家庭はスペースの問題もあってキッチンだけ独立したスペースにあるということは少ないかもしれません。しかし、アーユルヴェーダではキッチンはアグニという火の神様がいるところで、神聖な場所であり、決まった人だけが入ることができました。またキッチンに入る前にはその都度体を浄めて清潔な服を着てから入りました。これは衛生面を考えると意味のあることですし、身を浄めてからご飯を作ることで命に感謝しながら神聖な気持ちで料理ができそうな気がします。
また、古典の中では、Arthavan経を読誦してすべての毒を祓い、神秘の呪文を唱えた水を振り掛けた後で配膳しなさいとあります。言葉は、音のバイブレーションです。どれだけ気を付けても添加物、保存料、環境汚染などが一切ない食事を得ることは難しいことです。だからこそ、食事を食べ始める前に、マントラを唱えることで、これから食べるものを浄化することが大事だといいます。食事を日本では食事の前に手をあわせて”いただきます。”、食後も手を合わせてご馳走様”といいます。この挨拶は命に対する感謝を表すものですが、これから頂く食事を感謝の言葉のバイブレーションで浄化することにもなるのではないかと思います。
食材ごとの食器
ギーは鋼鉄(kanta-loha)の容器にて出し…すべての果物および菓子の種類は葉に乗せて出す。肉の料理は金の皿に、食用液物や肉エキスは銀の鉢に…冷まし乳は銅の容器に入れて出す。酒類などは土製の壺に入れて出す。料理人は豆、米飯や舐め物の料理を入れた鉢を巧みな意匠の清潔な広い皿の上にのせて、王様の前に拡げるべきである。デザート、菓子や乾物の全種類は王様の右側に、すべてのスープ類、肉エキス、飲料、酒類、乳…は左に置く。糖蜜…の料理を入れた鉢は上述2つの鉢の組の間に置くべきである。スシュルタサンヒター第1巻総論編 第46章
プラスチックのお皿やコップは、割れにくく、扱いやすくて便利です。ただその一方で、プラスチックのような石油製品を使い続けることによる環境ホルモンの影響も考えなければなりません。日本の伝統的な食器には鉄瓶や鉄なべがあります。囲炉裏に鉄瓶をかけいつでもお湯が沸いている状態にしていると、お湯に鉄の成分が溶け出して、貧血予防に一役かっていました。また各金属ごとの健康作用もあります。また金は子宮に良いとされ、妊娠中の母親は金を身につけることをすすめています。
よく噛んで食べることにうちこむ
賢明な医師は上述の供仕の規則を十分心得て、王様の食卓に奉仕し、他に人のいない、美しい、広々とした、幸多き、香料を薫じ、花にて飾った室の、清められた平床の上に用意すべきである。そして王様は熱くも冷たくもなく用意せられ、望みのままに調えられ味付けされ、またその特有の味を持ったそれらの神聖な快い味の料理を摂るのである。 **食事の間は高い椅子に安易な姿勢で座し、適当な時刻に身体を真直ぐにし、その全精神を己の気性に適した軽い、健康的な、和軟な温かな食料を液状料理で十分に食べることにうちこみ、適当量の米飯を摂って、たとえ鋭く刺すように飢えを感じていても、あまりに急がず、またゆっくりすぎもせず食事をしなければならない。スシュルタサンヒター第1巻総論編 第46章
早食いはだめ、よく噛んで食べる事の大切さは昔から言われています。それは5000年前のアーユルヴェーダの時代から同じでした。口に入れた食べ物を飲み込むと約10秒以内には胃の中に入ります。胃に入ってきた食べ物はどろどろの粥状になるまで消化された後、腸へ移動し吸収されます。たった10秒で胃に到達するという事は、胃に入るまでにどれだけ消化しやすい状態で入ってきたかによって、消化の負担がかわります。
また、胃は強い酸で食べ物を消化するために、食べ物が胃に入っていると胃の入り口と出口はしっかりと閉まって消化がはじまります。にもかかわらず、ダラダラあまりに時間をかけて食事をしてしまうと、胃の中にずーーっと食べ物が入ってき続けることになります。これにより胃酸が逆流したり、消化不良の状態で腸に食べ物がおくれることになりかねません。
食事は生きるために必要な大事な行為です。この大事な時間をおろそかにすることなく、大切に過ごしたいものです。