寿命の尺度
アーユルヴェーダの古典チャラカ・サンヒターの中では、アーユルヴェーダについて次のように書かれています。
アーユルヴェーダとは、有益な人生・無益な人生、幸福な人生・不幸な人生、人生にとって有益なこと・人生にとって無益なこと、人生の長さ・人生そのものについて説かれているもののことをいう。チャラカ・サンヒター第1巻第1章41
え!?【人生の長さ】がわかっちゃうのと思いますが、それについてもチャラカ・サンヒターの中には書かれています。
まず寿命には予測可能なものと不可能なものがあるとしています。
その中で予測可能なものに対しては次のように言っています。
寿命の尺度は対象(感覚刺激の受容)、感覚器官、精神、知性、生活態度などに関係した偶発的な病的兆候によって知ることができる。例えば人が即座に死ぬか、1時間後か、1日後か、あるいは3日後か、7日後か、10日後か、12日後か、半月後か、1か月後か、半年後か、1年後かがわかる。「スヴァバーヴァ(本来の状態に戻ること)」「プラヴリッティ・ウパラマ(活動の停止)」「マラナ(死)」「アニティヤター(永遠ではないこと)」「ニローダ(消滅)」は同義語である。以上が尺度がある寿命(予測できる余命 アーユシャ・プラマーナ)である。…アーユルヴェーダでは寿命の尺度は体格(デーハ)体質(プラクリティ)吉兆を示唆する特徴(ラクシャナ)との関係でも言及される。チャラカサンヒター第1巻第30章25
そもそもアーユルヴェーダでは人間は本来120才の寿命があるとしてます。しかしこの120才の寿命を全うできる人はほとんどいません。
日本は長寿だと言われますが、それでも女性は80代、男性は70代、さらに健康寿命(健康的に生きている寿命)はそこからさらに10歳近く若いというのが現状です。
今の時代はインド哲学の中で記されている4つの時代区分でいうと、最終段階カリユガ(暗黒時代)にあります。カリ・ユガの時代は、人々が神から遠ざけられ、スピリチュアリティが失われているため人間は心のレベル、肉体のレベルともに多くの苦しみや病気を抱えるとしています。文明が豊かになることで、不健康になる人が増えていくというのは、まさに古典にあるとおりです。
そしてこの時代、神に近づく道として最も有益とされているのは キールタン (神の御名を唱える)ことだとされています。
一方、予測不可能な寿命、つまり尺度がない寿命については、アリシュタ(突然あらわれる死の兆候)に関する章で述べられています。ご興味のある方は是非調べてみてくださいね。