幸福な人生とは
【幸福な人生】と【不幸な人生】の基準
アーユルヴェーダの古典チャラカサンヒターには、【幸福な人生】と【不幸な人生】について定義されています。
アーユス(人生)が幸福であるというのは次のようなことである。心身ともに病気に冒されていないこと。とくに若々しいこと。体力、勇気、名声、積極性(パウルシャ)、武勇が優れていること。学識と専門的知識があり、強靭な感覚器官と感覚対象(インドリア・アルタ)の受容力を持っていること。莫大な財産とさまざまな有益な快楽を享受していること。どのような行為にも期待する結果が得られ、思いのままに行動できること。以上が幸福な人生であり、以上の反対が不幸な人生(アスカ・アーユス)である。チャラカサンヒター第1巻第30章24(1-2)
ここで、私なんぞは、
”莫大な財産と様々な有益な快楽を享受していること” という部分にびっくり!?( ゚Д゚)してしまいます。
アーユルヴェーダの最終目的はスピリチュアリティを高めることにあるのに、なぜこんなどっぷり俗っぽいことが幸福な人生なんだろうと思うからです(;'∀')
その答えはまたチャラカサンヒターの別の部分に書かれています。
一般の人は3つの願望を追求しないといけない。
生命に対する願望
健康な人は健康維持のために生活方法を守ること、病気の人は病気の緩和に注意を払うこと。それにより生命を大切にすれば長い長寿を達成できる。財に対する願望
生活の糧を求めるために努力する。 農業、牧畜、商業、公務に携わる仕事、さらにその他よき行いの人々に侮辱されないで、なおかつ発展性のある仕事が生計の糧にふさわしい。これにより尊敬されながら長い人生を生きることができる。あの世に対する願望
カルマの法則を知り、聖典に述べられた生活と聖典に述べられた義務に専念する。 チャラカサンヒター第1巻第11章~34
まずタイトルが【一般の人】となっているのが面白いところです。
人によって生まれながらに精神性が高く神の道をすすんでいく人は、これには当てはまりません。
そして大多数の【一般の人】は、スピリチュアリティを高めることは人生において重要なことではあるものの、そのために必要なプロセスとして上記3つの願望を追求しなさいとしています。
3つの願望を追求し、”莫大な財産と様々な有益な快楽を享受する”わけですが、その内容がどうであるのかということが当たり前ながら重要になります。
生活の糧を求めて働きながらも、その仕事は世の中の役に立ち、他人を侮辱することなく、だからこそ周りから尊敬されるという有益な快楽を享受できるといことです。