歴史

西洋医学の歴史

現代医学・近代医学・西洋医学で検索してみるとはっきりしたことはわからないことがわかります。

堀毅氏は、「東洋医学と西洋医学の相違」という論文の中で下記のように書いています。

古代ギリシアのヒポクラテスや古代ローマのガレノスなどにより、発達し、その知識は、イスラム世界において、イブン・スィーナーやイブン・ルシュドにより継承された。 http://www.cgu.ac.jp/Portals/0/12-library/kiyou/n38-2.pdf

Wikiでみると、

西洋医学(せいよういがく)は、欧米において発展した医学を指す用語である。明治初期から、欧米医学を指す言葉として用いられた。正式な医学用語ではなく、俗語であり、文脈によって意味が異なる。

 アーユルヴェーダ医学の歴史

アーユルヴェーダは、「はじまりもなく、終わりもない」と古典にかかれています。どの製品も作られる前にはその設計書として仕様書があります。同様に、アーユルヴェーダは人間についての仕様書なので、人間が誕生するよりも先にあり、人間が終わるよりも後までカバーしています。このため、人間が作ったものではなく、人間を作った存在により作られているということから「はじまりもなく、終わりもない」と言われています。

人間が作ってきた西洋医学からするとあまりにも違いすぎて迷信っぽい、怪しいと思う方が多いかもしれません。

しかしここは100歩譲って信じるとして、どうやってアーユルヴェーダが人間の知るところとなり伝わってきたかというと、

神々の智慧を地上のリシ(聖者、賢者)達が瞑想の中で覚知したものが伝えられたとされています。アーユルヴェーダはこれら特殊な資質を備えたリシから選ばれた弟子にのみ伝承され伝えられてきました。まずアートレーヤおよびバラドヴァージャが一般内科の知識を、カーシャパが小児科の知識を、ダンヴァンタリが外科の知識を伝えました。

アートレーヤの知識はその後弟子に伝えられ、紀元前11-8世紀にアグニヴェーシャ・サンヒターとして記されたものがさらに改定され、紀元前7-2世紀にチャラカ・サンヒターとして記されました。外科学はダンヴァンタリから最終的にスシュルタに伝えられ紀元前7世紀頃スシュルタ・サンヒターとして記されました。また13世紀頃ヴァーグバタがチャラカ・サンヒターとスシュルタ・サンヒターの心髄(フリダヤ)をより体系的に抜粋したアシュターンガ・フリダヤを編纂しました。チャラカ・サンヒター、スシュルタ・サンヒター、アシュタンガ・フリダヤ・サンヒターの3著は現在に至るまでアーユルヴェーダの3大医書として伝承されています。これらの原点はすべてサンスクリット語で書かれています。

定義

西洋医学の定義

医学とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問である。wikiより

アーユルヴェーダ医学の定義

アーユルヴェーダとは、有益な人生・無益な人生、幸福な人生・不幸な人生、人生にとって有益なこと・人生にとって無益なこと、人生の長さ・人生そのものについて説かれているもののことをいう。チャラカ・サンヒター第1巻第1章41

西洋医学では、あくまで病気に対してのアプローチのみですが、アーユルヴェーダ医学は病気にとどまらず、”人間として生きている”ということに関わる全ての事についてカバーしている医学です。

目的

西洋医学の目的

生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防すること。

西洋学ではあくまで病気に対してのアプローチですので、健康な人は対象になりません。その証拠に日本では妊婦健診は自費診療です。また”予防すること”とありますが、この概念がでてきたのはごく最近です。例えば糖尿病や高血圧といった疾患が成人病から生活習慣病と名称が変更され、食生活が大事であるとされるようになりました。食生活が問題で疾患を起こしているケースでは、例えば糖尿病患者に教育的入院を行っています。ただ、カロリー制限中心でとても日常生活で続けられるようなものではなく、退院後結局悪化しているケースを良く見かけます。また介護保険の中でも予防に一部適用がされるようになってきていますが、まだ十分とはいえず今後さらなる充実が期待されます。

アーユルヴェーダ医学の目的

Prayojanam casya svasthasya svasthyaraksanamaturasya vikaraprasamanam ca アーユルヴェーダの目的は、健康な人の健康をまもり、病気の人の病気を治すことである。 チャラカサンヒター第1巻30章26

アーユルヴェーダ医学は、病気の治療はもちろんのこと、健康人がさらに質の高い健康を目指すことも目的としてます。たとえ今健康であったとしても、明日の健康は約束されていません。人間は時とともに加齢し、環境汚染やウィルスなど健康のバランスを崩す要因と常に接しています。ですから、アーユルヴェーダ医学では、寿命を迎えるまで今世で生まれてきた目的を達成するには健康の質を高めておく必要があるとしています。

 健康および病気の定義

西洋医学の健康の定義

WHOによる健康の定義は以下のとおりです。ちなみに spiritual(霊的)という言葉は1998年に追加されました。

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、霊的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。

西洋医学の進歩とともに、人間の体や病気に関して多くの事がわかるようになってきました。また検査技術の精度と医学教育により、診断基準にのっとった標準的な医療というものが受けられるようになりました。また手術や感染症の管理により多くの病気が救えるようになりました。その一方で、副作用の問題や、薬の乱用に伴う耐性菌の問題、延命措置をいつまで行うのかなどの新たな問題が出てきています。

また、西洋医学はあくまで解剖学をベースに、肉体でとらえられて検査が可能なものを対象としており、それを元に診断・治療を行うことから、目には見えない検査不可能な精神や霊(スピリット)に関しては曖昧です。

精神疾患に対しては、脳内物質という目に見えるレベルのみで扱っています。しかし、内科や外科的疾患と違って脳内物質の状態を検査でとらえることが難しく、医師の主観的な治療により投薬がなされていることが問題になっています。さらに、スピリットに関しては日本では西洋医学の中で治療対象になっていません。

参考文献 [amazonjs asin=”4883205541″ locale=”JP” title=”精神科は今日も、やりたい放題”]

また西洋医学では病気であることが治療の条件です。健康の定義では”すべてのレベルが満たされた状態”とありますが、診断のつかない不調に関しては治療せず様子をみるか、症状を抑える薬を対処療法的に処方するのが一般的です。”すべてのレベルが満たされた状態”を目指す医療ではりません。

アーユルヴェーダ医学の健康の定義

アーユルヴェーダでは健康を定義する前に、生命とは何かということについて定義しています。

生命とは、身体、感覚器官、精神、魂(アートマン)の結合したものである。チャラカサンヒター第1巻第1章44

アーユルヴェーダでは、生命について肉体及び精神及び魂が結合したものであると定義しています。その上で、魂こそが人間の本質的なエネルギーであり、身体は魂が宿り修行をする場だとしています。

健康とは、3つのドーシャ(体質)、アグニ(消化力)、マラ(便・尿・汗といった老廃物)、7つのダートゥ(身体構成要素:血しょう、血液、筋肉、脂肪、骨、骨髄、生殖組織)が正常であり、精神及び感覚器の平穏な状態である。 スシュルタサンヒター第6巻補遺編(uttara-tantram)第64章2-3

最初の3つのドーシャというのは、人それぞれに生まれながらに体質があり、健康の基準は人によって異なるという事を示しています。その上で、肉体レベルでは、食事がきちんと消化吸収され、その結果老廃物が適切に産生され排出されていること、また身体組織が充分作られていること、精神及び感覚器官が平穏であることを言っています。

 病気の原因

西洋医学における病気の原因

西洋医学はEBM(evidence-based medicine)根拠に基づく医療だとされています。しかしこのEMBの定義についてはいくつかの説があり、統一したものはありません。

正統派と呼ばれるSackettらのの定義では、臨床疫学的な情報としています。一方、ガイドライン派は、臨床実践において、エビデンス、患者の意向、臨床能力の三者を統合することであるとしています。また、EBMとは、個々の患者の臨床判断において、最新最良のエビデンスを明示的に良心的に一貫して用いることであるとしています。そして興味深いことは、両者とも主観的なQOLを、尺度測定によって数値化したデータをも扱うことができるため、『主観性』に対しても開かれています。これは医師の裁量によってかわる可能性があるという意味でもあります。 そしてもう一つ、伝統科学派は、エビデンスを臨床疫学的な情報に限定せず、むしろ、生物科学的な理論や病態生理を推定する実験的研究の成果を重視しようとしています。 参考:EMBの物語 http://jspt.japanpt.or.jp/ebpt/ebpt_basic/ebpt07.html

内科医の内藤聡先生は、著書「医学不要論」の中で次のように言っています。

(西洋医学は)ある病気があった場合、その原因を100%証明するのではなく、患者群の中にこういう人、こういう要素が多かったから、その人たちに効く薬や治療方法を編み出そうというアプローチを行う。(中略) 結果として100%の因果関係をまったく突き止めることができないわけで、現代のように治せない医学が跳梁跋扈するのは当たり前とさえいえる。

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アーユルヴェーダ医学における病気の原因

アーユルヴェーダ医学では、全ての病気には原因があるとしています。このため、病気の原因をつきとめ治療することで病気の芽を摘み、根本的に解決することを目指します。

時と精神と感覚器官の対象との誤った結合、結合の欠如、および過度の結合が、精神と身体をもつ基体をもつ人間の病気の原因となる。チャラカサンヒター第1巻第1章54

アーユルヴェーダでは人間には自然治癒力が備わっており、自然界とエネルギー循環をしながら生きているため(呼吸、食事、代謝、排泄など)、自然と調和した食生活を送っている限り病気にはならないと考えます。

 治療へのアプローチ

西洋医学

西洋医学の基本的姿勢は症状に対する対処療法です。イラストのように金魚鉢の金魚が具合が悪くなったとしたら金魚の症状に対して治療します。その主な方法は薬か手術です。西洋医学の薬は症状に対してピンポントで作用することを追及して開発されているので、即効性がある反面、副作用も少なくありません。

症状が急性の場合、緊急を要する場合、外傷にはこの方法が有効に働くことが多くあります。

ただし、内科的要因で食生活や社会毒(環境汚染、添加物、ストレスなど)が原因で具合が悪くなった原因が解決されるわけではないので多くの場合患者は再び同じ病気を繰り返すことになります。

アーユルヴェーダ医学

アーユルヴェーダ医学では必ず病気になった根本原因を追究します。西洋医学のように金魚の症状自体も治療しますが、その場合も症状だけを治すのではなく、今後再発することのないように病気になった根本原因を決する治療をします。金魚の例であれば、水槽の汚れが金魚の不調の原因であるなら、金魚自体のデトックスと、水槽の水をとりかえることで金魚のいる環境のデトックスをはかります。

アーユルヴェーダも西洋医学同様、内科、外科と専門家があり、内服薬、軟膏、湿布薬など多くの薬があります。西洋医学の薬との大きな違いは、生薬の有効成分を抽出するのではなく、生薬を丸ごと使う事と、副作用がないようにするために複数の生薬を組み合わせて処方することが一般的です。例えば冷えが問題な患者に対して温性のハーブを出す場合にも必ず冷性のハーブを少しは混ぜて処方することでバランスをはかります。また生薬の特性が最大限発揮できるよう内服に適した最適な時間について細かいルールをもうけているという特徴があります。

医師になる資格

 西洋医学の医師

厚生労働省の医師国家試験の受験資格を見ると、医学の正規の課程を修めて卒業し、医師国家試験予備試験に合格した後1年以上の診療及び公衆衛生に関する実地修練を経たものとあります。

 アーユルヴェーダの医師

アーユルヴェーダはもともとアーユルヴェーダ医師の家系に伝えられてきたものです。現代では生れに限らず、アーユルヴェーダの医学科がある大学に進学し、国家資格に合格したのち臨床経験を経て、国に登録して医師となります。そいういう意味では、西洋医学の医師とプロセスはかわりません。

ただし、アーユルヴェーダのユニークなところは医師となるべき人間の資質について事細かに古典チャラカサンヒターに記されているということです。

内容を見て頂ければわかる通り、これは”医者”となる人に、時代をとわず、医学の種類を問わず必要な資質であると言えます。このことを十分教えられて医師になるかならないかでは、免許を取った後の診療に大きな違いがでると思いませんか?

聖典に精通していること、経験が豊富であること、手先が器用であること、および清潔であることが、医者における4つの望ましい性質であると知るべきである。第1巻第9章6 医学書の学習能力、その意味内容の理解力、治療への応用力、さらに実践による洞察力という4つを身につけた医者は「命を救う医者」と言われるのである。第1巻第9章18 病気の原因・微候・鎮静・再発防止に対する4種の知識をもった人は、王の侍医にふさわしい最高の医者である。第1巻第9章19 学習、知恵、実践による認識、経験、熟練、よき指導者についていること、これらの素質の1つでもあれば、医者という言葉を用いるのに十分である。第1巻第9章22 これらのよい特性のすべてを供えている人は「優秀な医者」という言葉にふさわしく、生きとし生けるものに幸福を与える人である。第1巻第9章23 聖典はものを照らすための光であり、自分自身の知力は眼に例えられる。これら2つを正しく身につけている医者は、治療を行って誤りを起こすことはない。第1巻第9章24 治療において3つの柱は医者に依存しているから、医者は自分の徳性の完成に向けて努力しなければならない。第1巻第9章25 (患者に対して)友情をもつこと、(患者に対して)慈悲をもつこと、治療可能(な患者)に対して関心をもつこと、死が近づいた患者に対して執着を感じないこと、この4つが医者のとるべき態度である。第1巻第9章26

まとめ

西洋医学とアーユルヴェーダ医学は医学という点では共通しています。お互いの良いところを理解し、両者の良いところをとりいれるようにするのがすすめられることは言うまでもありません。

インドやスリランカでは、西洋医学とともにアーユルヴェーダが国の医療として認められています。アーユルヴェーダの医者は西洋医学的な解剖生理を学び、必要があれば西洋医学をすすめます。逆のパターンは多くないかもしれませんが、西洋医学の医者の中にもアーユルヴェーダに理解がありアーユルヴェーダの医者とタッグを組む例も耳にします。もちろん、日本でも西洋医学のお医者様の中には東洋医学を学び臨床に活用している方も多くいます。

すべての人が医者と同等の知識を身につけることは不可能ですし、その必要はないと思います。しかしもし自分の体に不調が起き、医学的なサポートが必要になった場合には、できる限り情報を集め、後で後悔しないように自分が納得のいく治療を受けるのが大事かなと思います。