悟りへの道に必要なタパス(苦行)とは

最近、ムニンドラ・パンダ先生のインド哲学講座を聴講しています。ムニンドラ先生は、インド哲学を深く学ばれ、過去にはヨーロッパでインド哲学の講義をされていて、現在は日本でインド製品の卸商社の社長さんをされています。そしてご自身の会社の一室で週2回インド哲学を無償で教えていらっしゃいます。 ヴェーダ・スクール http://www.jagatnath.com/index.html

授業は木曜日と土曜日の夕方なので、サロンの営業時間と重なっており、残念ながら直接学ぶ機会にはまだ恵まれていないのですが、公開されている音源だけでもものすごくわかりやすく、多くの気付きを与えてくれます。

インド哲学の初級編の中で、タパス についてでてきます。

タパスサンスクリット語で、日本語だと ”苦行” と訳されます。

この”苦行”を文字通り受け止めて、火の上を素足で歩いたり、体を傷つけたりする修行者たちもいますが、ムニンドラ先生曰くそれは本当の意味でのタパスではないそうです。

タパスとは簡単ではない悟りの道を歩むこと

人間と動物の大きな違いは人間には知性があることです。この知性は悟りを開くために人間だけに与えられているギフトです。

食べる、寝る、排泄する、子孫を残す、こういった本能は動物にもあります。本能に従って生きているだけではせっかく人間として生を授かったのに動物として生きているのと変わりません。

人間として生まれてきた本当の目的は、自分がアートマ(魂)であることを理解し、輪廻転生から解脱すること、つまり悟りを開くことにあります。

そのために人間には知性があります。

この悟りの道をすすむ中では、多くの障害がやってきます。例え障害がやってきても、障害を取り除いて貫き通すことがタパスなのだそうです。

それを聞いた生徒さんは、次のような質問をしました。

”仕事の付き合いではお酒を飲まないといけないことがある、そういう場合はどうしたらいいのですか”

ムニンドラ先生の答えは次のようなものでした。

”私はお酒は飲みませんといって断ります。例えば、タバコでも同じですが、誰かがタバコをすすめてきたとしたら、私はタバコは吸いません。あなたにも吸って欲しくありません。吸いたいなら外に行って吸ってきて歯を磨いてから戻ってきてくださいと伝えます。

それを聞いた相手は はじめはショックを受けるかもしれません、またはあなたとの関係が悪くなったり、あなたが仕事を失うことにもなるかもしれません。それでもあなたが良いと信じる道を貫き通すことがタパスです。”

五感は快楽を求めたがる、これを制御することもまたタパス

先生は他のタパスの例として、1日何時間もテレビを見ることは簡単だけど、1日10分聖典の勉強をするのは難しいことをあげています。肉体や五感はタマス的な性質があり快楽を求めたがります。この快楽を求めたがる五感をコントロールして、知性を働かせなければなりません。これもタパスです。

五感はサンスクリット語でギャーナインドリアと呼ばれ、ギャーナとは知識をあらわします。本来五感は知識を得るための器官です。にも関わらず五感は快楽を求めてしまいます。

この五感をコントロールして本来の知識を得ることに使わなければなりません。

タパスについて考えさせられた映画

そしてこのタパスについて学んでいたところ、ある映画の情報を目にして珍しく衝動的に実に行ってきました。

映画 「汚れたミルク」 世界に先駆けて東京で3/4~上映されています。

  ある大手企業が、パキスタンで粉ミルクを強引に販売し、貧困層の母親たちが不衛生な水や薄めた粉ミルクを飲ませたことで多くの乳幼児が死亡した実際の事件を元にした映画です。主人公は粉ミルクのセールスマンで自らが販売したミルクが子どもたちの命を奪っている事に気づき、世界最大企業を訴えようとします。

いちサラリーマンが大手企業を訴えるという無謀ともいえる試みの中で何度も障害がおこります。

そしてついに家族に危険が及ぶのを感じた主人公があきらめかけた時、主人公の妻は言います、

”私や子供を言い訳に信念に背くの? あなたが信念をつらぬことで家族は壊れるかもしれない、でも私は信念に背く夫を尊敬できないわ”

はじめは主人公が信念で動きますが、周りがそれを応援し、家族全員で信念を貫き通していく様子は心を動かされます。

これぞまさにタパスを描いた映画であり、事実を元にしているだけあって、ずしんと心に響きました。

快楽を求めたがる五感を制御しながら、タパスを続けていくことがこれからの人生のテーマだとよ~くわかりました。

とはいえ、悲しいかな、ずしんと感じた気持ちも映画館を一歩出れば五感を喜ばせる快楽が飛び込んできて あっという間に薄れていきます・・・涙

このタマシックな魅力にあふれた世の中で五感を制御し、知識を得ることに使うには、1人では難しいものがあります。

サットサンガ、同じ志を持つ仲間と先生(グル)が必要だとあらためて感じたのでした。