ギータ―カードの上の絵は、クリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)が牛飼いの乙女達の間に入って踊っているところです。神様を目にしたり触れたりすることなど通常はできないのですが、クリシュナは全てを自分に捧げる乙女達に恩寵を示されるために乙女達全員の間に入って肩を組み踊りました。この1夜の出来事を通して牛飼いの乙女達は非常な喜びを感じ、クリシュナへの思いは極限に高まります。

しかし、その後クリシュナはこの世に化身として生まれるきっかけとなった悪を退治するために村を離れてしまいます。

牛飼いの乙女たちは最愛のクリシュナと離れることに心を痛め、嘆き悲しみます。

そのこともすべて知っているクリシュナは、自分へ全てを投げ出して捧げている乙女達へ使者を送り次のメッセージを伝えます。

あなた達にとって最愛の者である私は、あなた達が心の中で私に一番近くあれるよう、そしてたえず私に思いを集中できるよう、あなた達から遠く離れて暮らしているのです。 女性と同様、普通の人にとっては、最愛の者は彼が身近で暮らしたり、常に眼にしているよりも、遠くに離れて暮らしている方が、より強く心はその人のことで占められるのです。 あなた達は全ての思いを捨てて、私だけに心を捧げて、私だけを思い続けたなら、いずれ私のもとに至ることが出来るでしょう。 バーガヴァッタ・プラーナ第10巻47話34-37

ヴェーダ哲学で教えられてる人生の究極の目標は、肉体をもって生まれ変わる輪廻転生から抜け出し、神と一体となることです。

その一番近道は全てを神へ捧げること、神への究極の愛(バクティ)だといいます。

とはいえ、肉体や感覚器官からの欲望に支配されている人間にとっては目に見えないもの、認識できないものを思い続けるのは大変難しいことです。

だからこそクリシュナは人々の中に生まれ生活し、触れて、さらに離れることで人々が心をクリシュナへ向けられるようにしているのだと聖典で言っています。

愛する人と肉体的な死をもって別れた時、肉体的な別れの前よりもその人を強く身近に感じるというのは良く耳にしますが、なるほどなと思います。

肉体はこの世の中を構成している五大元素の集まりで、言い換えれば宇宙からの借り物にすぎませんが、それを動かしている微細なエネルギーこそ本質であり、肉体が死をもって宇宙の要素に帰れば、その人は微細なエネルギーのみになり、微細なエネルギー同士が通じ合えば肉体同士の繋がり以上の深さとなるのは納得がいきます。

聖典の中には事細かにクリシュナが起こした奇跡が書かれれており、その奇跡を日々繰り返し読み伝えなさいと教えていますが、これこそまさに肉体のいる粗大なレベルから、ストーリーを通じて微細なエネルギーレベルへ理解を深めるステップなのだろうと思います。

ヒンドゥー教徒でなくても、聖典に書かれているクリシュナの物語はとても魅力的で面白く、現代と照らし合わせてみても人間の生き方にはその人が目指している人生の目的によって結果は決まってることが良くわかります。

だとしたら、人間として肉体をもって生まれてきたこの人生をどう生きるのかは、シンプルにこの人生においてどの結果を手にしたいのかで決まりますね。