ch5-22

The pleasures that drive from contact with sense objects are the wombs of misery. They have both a beginning and an end and thus the wise take no delight in them.

感覚器官が外界の対象物と接触して生じる喜びは苦しみを生み、始まりと終わりがある。アルジュナよ、知性あるものはそれらに喜びを求めないものだよ。

例えば食べるのが喜びだと思っている人がいます。より美味しいものを食べるために働く、美味しいものを求めて旅をするなど。

しかし食べる喜びは、空腹という苦痛とセットになっていて、食べることにより空腹が落ち着くので幸せだと感じているのにすぎません。

もし食べることにいつでも幸福が存在しているのであれば、お腹がいっぱいの時でも幸福に感じるはずですが、もう食べられないぐらいお腹がいっぱいの時には空腹で食べた時ほどの幸福感はなく、むしろ嫌悪感すらあるかもしれません。

これと同様に感覚器官を通して感じる喜びはすべて苦痛とセットになっていて、その中に永遠に続く喜びはありません。

クリシュナ神はバガバットギーターの中で永遠の喜びは感覚制御しあらゆる欲望を超えたスピリチュアリティにのみ存在すると言っています。