日本人は宗教や信仰心を失っているといわれます。 確かに海外に渡航する際、宗教を聞かれると困ってしまう人も少なくないと思います、

特定の宗教に属していないからと言って、日本人に信仰心がないとは思えません。

古事記を見るとそもそも日本人のルールは神々から始まっていることがわかりますし、

天皇陛下の最大のお役目といえば”祈り”であり、

コンビニの数よりも神社の方が多く、

新年の初詣、出産後のお宮参り、七五三、葬式などなど、

誰でもお守りの一つや二つもっており、

ご利益のありそうな写真をスマホの待ち受けにしていたり、

神社やお寺に赴いて手を合わせるのが日常になっていることからしても

神々が身近な存在と思われます^^

ところで、神様はどこにいるのでしょう?

エドガーケイシーのリーディングでは次のように言っています。

神は聖なる宮の中におられ、あなたとお話になる。 あなたの体も神の宮であり、そこで会合すると神は約束されている。 神を愛し、悪を避け、信仰をもちなさい。 それだけが神の御心にかなった奉仕である。1143ー2

アーユルヴェーダでも、日本の八百万の神と一緒で神様が沢山でてきます。

神社ごとに祭られている神様が違うのと同じような感じです。

そして、神様が祭られているところは、どこかへ赴かなくても、人間の肉体もまた神様の神殿だというのです。

私的には、最もだなと思うのですが、自分の体には自分の想像をはるかに超えた叡智があり、それによって自分はいかされています。

心臓は1分間に5Lもの血液を全身に送り出し、これを今まで生きてきた中で一度も休まずにやってくれていますし、

腎臓は1日に150L もの血液をクリーニングしてくれています。

この同じ仕事量を私個人が現実世界で行おうとしても到底できるものではありません、

それが私以外の全人類に同様に働いていて、更に他の生命や自然、宇宙にも計り知れない叡智が働いていることを思えばそれは神様しかなしえないでしょう。

では自分の体が神殿だとしたら、どのように扱うべきでしょうか。

汝の体はまことに生ける神の神殿である。そこにおいて祈り、瞑想し、詩編を詠唱しながら、神にまみえるのである。 断食の行為においてーそれは食べ物をたつだけでなく、音楽や祈りから流れてくるもの、深い瞑想から流れてくる影響力に、心と意識を意図的に開くことであるー 神にまみえるのである。 そのような深い瞑想は、 自分を声や自然の音から遮断し、 内なる静かで小さな声に耳を傾ける時間を規則的に持つことで得られるだろう。 3630ー2

つまりは、日々の行いすべてを神様への捧げものとして行うという事です。

神殿に供えるのにふさわしいものを食事とし 瞑想して、内なる神様と繋がることで、 今日何を為すべきかを問い、 日々の行いを捧げものとすること照れ

外の世界の魅力に欲望の火は常に燃え続けているので難しいのですが滝汗

日々を積み上げていくしかないですよね♪