すべての存在に価値がある
この世に存在するもので全く無能で存在価値がないものなどありません。例え植物の毒であっても特定の病気に対しては薬になりえます。しかし、正しい使い方を知らないという事が問題なのです。実際、世の中の植物すべての薬効を知っている人などありえません。それと同じように各自がもっているエネルギーや能力を理解しておらず、正しく使えていないことが問題なのです。
能力の使い方には4通りある
1.ラーガ(執着)とドゥエーシャ(嫌悪感)があり、使い方を間違っている。
ラーガとドゥエーシャにコントロールされている無知の状態。
2.ラーガ(執着)とドゥエーシャ(嫌悪感)を放棄している。
仏教の放棄するというのはこれにあたる。ラーガとドゥエーシャはないが、それを使うこともない。
3.ラーガ(執着)とドゥエーシャ(嫌悪感)はあるが適切に使っている
ディナチャリア(アーユルヴェーダの日々の養生法)のような良いラーガを日々実施する。ドゥエーシャを悪いことに向ける。タバコを吸うのは嫌いなど。しかし、ラーガとドゥエーシャのコントロール下ではある。
4.ラーガ(執着)とドゥエーシャ(嫌悪感)を超えている。
ラーガ(執着)とドゥエーシャ(嫌悪感)を使うかどうかを自分で選択している。 1番が一番悪く、目指すべきは4番の状態です。
能力の使い方にまつわる逸話
あるところに旅人がいた。旅人が旅をしていて湖を通り過ぎるとき、奇妙なことに湖の中に虎がたっていて手に金のブレスレットをもっていた。
虎は旅人に言った。
虎“ここへ来て金のブレスレットをもっていきなさい”
旅人は選択を迫られた。旅人は金のブレスレットが欲しかったが虎に食べられちゃうかも…と思った。
旅人“どうしたら虎であるあなたを信用することがでるのか”
虎“よくわかるよ、確かに信用できないよね、虎は危険だもんね。相手をだますときには相手をほめて油断させるよね。でも僕はあなたが思っているような虎ではない。だって年老いているからあなたを傷つけることはできないよ
” 旅人“年はとっているけど虎じゃないか
” 虎“僕の手を見て見なよ、爪はぼろぼろ、歯もガタガタで抜けてるし、ベジタリアンだし。若い頃は確かに沢山の牛や人間も殺して食べて罪を犯した。ある時仏教徒に出会って変わったんだ。その時も僕は僧侶を襲おうとして言われたんだ”
(虎の回想)
僧侶“やめなさい、何をしているんだ
” 虎“襲って今日のランチにするんだ
” 僧侶“君はカルマの法則を知らないのか
” 虎“カルマの法則だって、僕が知っているのは重力の法則だけだよ
” 僧侶“君は今は動物だけど君はもっと上に登るとわかるよ
” 虎は自分が動物で、僧侶は人間なんだと思って恥ずかしく思い話を聞こうと思った。
僧侶“虎よ、そこに座って聞きなさい。善い行いをすれば善い行いがかえってきて、悪い行いをすれば悪い行いがかえってくるから、悪いことをしていれば来世で苦しんで地獄にいくんだぞ。
” 虎“地獄ってなんだ”
僧侶“お前は地獄も知らないのか、そんなにバカなの、やっぱり動物は無知なんだなぁ。地獄には大きな釜があって油地獄があってグツグツなっている中にほおり込まれてずっと苦しむんだぞ。
” 虎は震えだした“もうすでに多くの罪を犯してきたのにどうやったらいいんだ
” 僧侶“暴力をやめなさい
” 虎“でも食べないと死んじゃうんだからどうしたらいいんだ
” 僧侶“ヴィーガンになって大豆製品を食べなさい。大豆チキンをたべればいいんだよ。それから毎日山中湖で沐浴をしなさい。それから通り過ぎり人に金のブレスレットを寄進しなさい。”
(虎の回想終わり)
虎“こういういきさつで僕は普通の虎とは違うんだ
” 旅人“確かに君は普通の虎とは違う、君は確かに賢い虎だ”
旅人は虎に近づいた。
虎は(これで食事にありつけると)内心嬉しくて仕方がなく、旅人が近づいてくるほど心は躍り、抑えきれずよだれが垂れはじめた。
旅人が湖に差し掛かると足が泥にとられて動けなくなった。
“あー足がはまって動けなくなってしまった。
” 虎“大丈夫、大丈夫、僕がそっちにいくからね” 虎は旅人のところまで行った。
虎“僕は手にブレスレットを持っていて手が使えないし、反対の手もバランスをとらないといけないから、口でひっぱるからね” そういって虎は僧侶を食べてしまった。
虎と旅人の話からの教訓
この逸話において旅人も虎も私たち人間を表しています。特に虎は人を騙そうとする人間をあらわしていて、能力の使い方の1番にあたるラーガとドゥエーシャにコントロールされている状態です。ラーガ(執着)のために貪欲で知性が働いていません。
心を浄化し、能力を正しく使うためには、ラーガとドゥエーシャを超える必要があります。しかし、自分の具合が悪い時、自分を正しく診断することは難しいのと同様、ラーガとドゥエーシャにコントロールされている状態では自分のことを理解することができません。 バガバッドギーターの中で、クリシュナ神がアルジュナを導いたように、スピリチュアリティを学ぶためには、正しい先生を見つけて導いてもらう必要があります。正しい先生を見つけることができたなら、スピリチュアリティの50%は完了したと言えるほど師の存在は重要です。
ドクター・サトヤナラヤナ・ダーサ プロフィール
ジヴァ・インスティテュート・ダイレクター。インド工科大学(IIT)で最新テクノロジーを学んだ後ヴェーダの知識の学びを修めた稀有なヴェーダ学者。インド哲学の聖地ヴリンダ―ヴァンに拠点を置き、アメリカやヨーロッパ各国でインド哲学を教えている。ドクター・サトヤナラヤナ・ダーサの教えは多くの人々の生き方を変え、生きる真の目的を見出させたと言われる。ヴリンダ―ヴァンでは定期的にヴェーダ学習コースを開講している。10冊を超えるヴェーダ研究書を執筆。 サンスクリット博士号 インド哲学の6体系を修める 米ニュージャージー州立大学客員教授 仏テレ・ドゥ・シエル大学客員教授 タットヴァ・サンダルバ研究の功績が認められインド大統領から勲章を授与される
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